最高裁判所第一小法廷 昭和29年(あ)1042号 決定 1954年9月30日
上告人 被告人
呉万泳
弁護人
大塚一男
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主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人大塚一男の上告趣意について。
原審の認定した事実によれば、「本件交渉は前記失業対策事業に従事する労働者としてその労働条件の改善を図る為の団体交渉と云うよりも、むしろ、長野市民たる被告人等失業者の最低生活を保障する為長野市長に対し生活資金を支給すべきことを要求するのが主眼と認められるのであつて、かかる交渉は使用者対被使用者の関係を前提とする団体交渉権の行使と云うには該当しない。」というのである。それ故、原判決の結論は正当であつて、団体交渉権の行使を前提とする論旨は、理由がない。(なお、原判決理由の中において、仮定として述べた点を論旨は非難するが、この仮定論は無用の説述に過ぎないから、その中に違法があるとしても、原判決の正当性を結局において揺がすものとは認められない)。
よつて刑訴四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 真野毅 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 岩松三郎 裁判官 入江俊郎)
(弁護人大塚一男の上告趣意)
右事件につき、さきに上告を申立てた理由を開陳する。
原判決は日本国憲法第二十八条に違反するか又はその解釈に誤りがあるから破棄すべきものである。
(一) 問題の核心。
(1) 昭和二十五年十二月十五日長野自由労働組合副委員長たりし被告人は他の組合員多数とともに午前十時頃長野市役所に赴き越冬資金一人あたり五千円要求のため市助役に面会をもとめたところ、拒絶され、同午前十一時五十分頃退去要求をうけたにもかゝわらず退去せず、市署員の退去要求にも応ぜず、却つて署員の公務執行を妨害したものである、というのが原審の認定した「事実」である。
(2) すなわち、以上の認定からもうかゞわれるように、問題は被告人らの不退去が違法であるか、の点にかゝるのであつて、公務執行妨害の有無はそこから派生する問題にすぎないのである。
(二) 原審の判断。
(1) 原審が被告人ら自由労働者と長野市との間に於て、「仮令その形式上は各人一日限りの雇傭関係に過ぎず、その日以外は何等使用者対被使用者と云う関係がないように見えるとしてもその実質においては当該失業対策事業が継続する限りその事業主との間に使用者対被使用者としての関係が継続するもの」であり「右失業対策事業に従事する労働者は労働組合法の規定するところに従いその労働条件を改善する為事業主との間に団体交渉権を有するものと解するのが相当である」としたことはこの点の判断を全くほゝかむりした一審判決と対比して正当な見解というべきであろう。
(2) しかし「進んで本件の交渉が右にいわゆる団体交渉として正当な行為と認められるかどうかの点につき……本件交渉は前記失業対策事業に従事する労働者として……の団体交渉と云うよりもむしろ長野市民たる被告人ら失業者の最低生活を保障する為、長野市長に対し生活資金を支給すべきことを要求するのが主眼と認められるのであつて、かゝる交渉は……団体交渉権の行使と云うには該当しない」というに至つては誤りは明白である。
けだし、本件の交渉が仮りに市民たる失業者の市長にたいする生活資金要求が主眼であるとしても、その交渉にでかけた失業者たちと長野市の間に、当時前記(二)(1)の使用者対被使用者の関係が成立し、被使用者としての被告人ら労働者が団体交渉権を有するかぎり、その交渉は一面市民として、他面労働組合法上の労働者としてなされたものとみなければならない。(二審における弁護人控訴趣意書第二点参照)
(3) されば原判決も一応右のごとく論じながらひきつゞき「仮に本件交渉が……雇傭関係に基く団体交渉と認められるとしても……長野市助役より代表者三名とならば会うとの回答があつたにもかゝわらず、全員の面会を要求し、数十名の組合員らと共に長時間に亘り市長秘書室に留まり、遂に右助役……より即時退去方を求められたに拘らず尚もこれに応じないというが如きは団体交渉としての正当性の範囲を逸脱しているものと認められるのであるから被告人が……退去しなかつた行為は刑法第百三十条にいわゆる『要求ヲ受ケテ其場所ヨリ退去セサル』場合に該当するものであり、原判決がこれを同法条により処断したことは正当といわなければならない」として、被告人を有罪としている。
すなわち原審は被告人の不退去が違法であるとする論拠を
(イ) 助役から三名とならば会うとの回答があつたのに、全員の面会を要求したこと。
(ロ) そして長時間市長秘書室に留まり退去要求にも応じなかつた。
にもとめている。(この違法を前提としてさらに公務執行妨害を認定している。)
(三) 原判決の違憲性。
(1) 近代産業の発達は必然的に多数の労働者(プロレタリアート)をうみだす。
そして、労働者はつねに経済上の弱者として、あらわれるのに反し、使用者はつねに優位にたつ。
それゆえに労働者はつねに彼らに不利益な条件下で働くことを余儀なくされる。一方使用者はます〓利潤を獲得する。
この事実を眼のあたりみて、労働者が何らなすところなくすませるものではない。
よりよき条件による労働をのぞみ、要求するにいたる。しかし使用者はこれに応じない。
かくして労使の対立、斗争がつねにくりかえされてきている。これが歴史的事実である。
やがて各国の憲法はこの歴史的現実に則して、経済上の弱者である労働者が、使用者と対等の立場において交渉できるよう労働者の団結権、団体交渉権を一応みとめるに至つたのである。
日本国憲法二十八条の規定もこの例外をなすものではなく、以上の歴史的経過によつてうまれたものにほかならない。
(2) そも〓資本家は彼の雇傭する労働者の個々(或は集団)と労働条件について語り合うことを慾しない。いや、面会することさえ嫌うところである。仮りに会うとしてもきわめて少数の者ときわめて短時間という条件のもとにおいてである。このことは歴史的に承認ずみの争いない事実といつてよい。
一方労働者はこれとまつたく反対のことを要求する。すなわち、万難を排して会おうとし、かつできるだけ多数の労働者とともに会いたいと要求する。これもまた歴史的に承認せられた事実である。
そして、多くの場合、使用者としての優位が、労働者の要求を一蹴するようになる。
それを救済し、現実に労働者が団結し、それにもとづいて団体として使用者と交渉する等の団体行動を保証したものが憲法にいう勤労者の団結権および団体行動権の実質的内容である。そして法律は使用者に団体交渉に応ずる義務を課している。
これらの権利は、したがつて使用者の恣意――労働者と会いたがらず、会うとしてもきわめて少数のものと会いたいという身勝手な願望――を抑制するところに成立するのである。
(3) それゆえに、ある交渉が団体交渉として「正当性の範囲」にぞくするかいなかも以上にのべた歴史的事実と権利保障の意義及び権利の具体的内容に則して決せらるべきものである。
しかるに原判決はことこゝに出でず、単に市助役から面会三人と指定せられたのに従わず、その後発せられた退去命令に応ぜずして滞つたのは正当でないとしている。
この論理に従えば、正当なりや否やは一にかゝつて、使用者の意思に依存することにならざるをえない。
使用者の恣意を抑制し、使用者と対等の立場で交渉するために保障せられた権利行使の正当性の限界が使用者の意思にかゝるとは何とおどろくべきことではあるまいか。
日本国憲法がそのような「権利」を「保障」したものでないことは何人も認めざるをえないであろう。
(4) では正当性は何によつて定めるべきか。これは具体的事案によつてそれ〓異り、一概にはいゝうべからざるものであるが、凡そつぎの点の考慮はいかなる場合にも必要と考える。
(イ) 使用者の誠意
交渉に使用者が誠意をもつているかいなか。本件では助役が労働者に会うや、開口一番「ヤア諸君、御苦労、代表者と話しするから帰つてくれ」というありさまであり、団体交渉に誠意をもつて当ろうとする態度なし。(弁護人控訴趣意書第二点に引用した証拠参照)
(ロ) 交渉の時間
二日も三日も昼夜ぶつとおしでやつたばあいで、しかも使用者を「監禁」状態においたばあいには違法性が問題化するかもしれないが、本件程度の時間滞留したからとて、まつたく問題にならない。本来団交は三十分や一時間で簡単に解決するものではなく、深夜にまで及ぶのが通例である。ましてや本件のように、二時間たらずいたところで何の違法性もない。
(ハ) 交渉の態度
これが平穏であるばあい問題にならぬことをいうまでもない。本件でもはじめは平穏そのものであり、紛糾してきたのは警官の介入以後である。(一審証拠参照)
(ニ) 交渉の人員
使用者側と交渉する労働者の人数が多数であるからとて直ちに違法になるものでないことはもちろん、使用者側の希望する人数に応じないからとしても違法になるものでもない。
使用者の希望に反する多人数による交渉が違法となるか否かは前記(ロ)、(ハ)等との関連において決せられるべきことである。
これを本件についてみると、助役が三人とならば会うと云い、それ以上の面会を拒否したことが正当である根拠は存しない。したがつて、右助役の態度にあきたらず、全員の交渉を求めてその場所から退去しなかつた被告人ら労働者の行動が違法であるとの根拠も存しないものである。
けだし、団体交渉に於ける人員、場所は両当事者の協議等によつて決定せられるべきことがらである。
もし使用者が正当の理由なく団交の人員を制限してけつきよく団交そのものを拒否する場合には労働者がその場所に立入つたり、止まつたりして交渉を要求する行動は、他の特別の事態(脅迫等)が生ぜざるかぎり何ら違法ではないとすべきであろう。
本件において、そのような事態のなかつたことは記録の示すところである。
(5) 以上の諸点にあらわれた本件の事実をみるとき、団体交渉として何ら正当性の範囲を逸脱していないことは明白である。
これを違法として住居侵入及び公務執行妨害も成立するとして有罪を言渡した原判決は憲法第二十八条に違反するかまたは同条の解釈を誤つた違法があるとしなければならない。
しかもこの違法が判決に影響を及ぼすことは問題の性質上、自明の理である。
よつて原判決は破棄を免れないと信ずる。